死後の世界、ハムハムランドについて
もう会えない元恋人、付き合っていてもずっと会えていない恋人とか、生きてるけど会えないんじゃ死んでるのと同じだなぁなどと思う反面で、
既に死んでいる人には、もう今後会えないという辛い現実を和らげるため、今は顔を見ていないだけでどこかで生きていて、いつか会えるかもというポジティブな考え方をしたりする。
それが天国とかの死後の世界の存在の考え方につながるのだろう。
科学が発達した時代だし、天国は物質的な存在はないかともおもいつつ、信仰として考えると、天国がどこかにありいつかそこでまた死者に会えると思っていた方が、心をポジティブに生きていける。
親が死ぬ前は、天国は単に神話の中のモチーフくらいだと思っていたしそれについて考えることもなかったが
いなくなった後つらさや少し寂しい気持ちなどがわくと、心を軽くするためにまた天国で会えるかもという思考がうまれ、よく思うようになった。
天国という場所はそういうふうに、辛い思いをした人達が想うことで存在感を増し、生まれた場所なのだなと思った。
そのつながりで、ハムスター飼育界隈がよくツイッターで口にする、ハムスターの死後の世界ハムハムランドについても同じことを思う。
ハムハムランドも生前大切にされたハムちゃん達が、死後そこにいると願う飼い主達が生んだ場所といえる。
お盆にはハムハムランドからハムちゃん達が帰省するし、お盆が終わると帰っていく、というツイートを飼い主達が生前のハムちゃんの写真つきでしていて、
そのツイートに対して、●●ちゃん帰ってきてえらいねー など他飼い主からハムちゃんに対しての温かい反応がある。
そういった、ずっと一命のハムちゃんを忘れない飼い主や愛に溢れたツイートをみて、色々な弔いの形があるなと少し涙がでた。
自分が飼っていたハムスターのことや、親のことも少し思い出したお盆だった。
お金が集まる場所とクリエイティビティ
今読んでいる本「マズロー心理学入門」をふまえて最近の社会に思うことを書く。
・人間の欲求のピラミッド構造(生理的欲求が下位、最上位が自己実現の欲求)
・仕事における自己実現とそれが満たされる社会(ユーサイキア)
私は学校を卒業したあと広告代理店に勤務予定である。
広告代理店に従事する、特にクリエイティブ部署の人々の多くは最上位の自己実現欲求を満たしながら、衣食住を犠牲にして長時間働いている。おそらく私もそうなるだろう。
仕事で満たすことができる自己実現欲求を詳しく分析すると
・商品を売る=社会のためになる
・クリエイティブな表現=オリジナリティ=自我の確認、承認=承認欲求
マズローが言っていることに大方当てはまるので、広告代理店従事者は自己実現者が多いと言えそうだ。
広告代理店の儲けを分解すると、バブリーであった頃の収入の多くはテレビcm(や新聞やOOH)からきていた。
視聴率の高いテレビにお金が集まる性質上、媒体を買う力のある代理店にもお金が集まっていたのだ。
(もちろんお金が集まる大本であるテレビ、放送業界も、コンテンツ制作においてクリエイティブ要素が多く合った。多くの名作ドラマや番組が生まれた)
そこには芸術が介在することができるスキマ(お金の使いみちやメディア)がたくさんあった。
広告代理店に入社した人は、デジタル以前なら多くの人が40年間勤め上げていたそうだ。それがデジタル以後、最近ではぱらぱらと転職者がいるとのこと。
もちろん不景気といえども、今でも終身雇用の風土はしっかりある。
ではなぜ、せっかく自己実現の場がある職場を変えてしまうのか?
:以下わたしが考える理由
転職者の多くはfacebookやgoogle、あとはticktocの会社などに流れるそうだ。
いずれも自社のメディアと多くのユーザーを持ったit企業で、業界ではトップシェア(=お金が集まる場所)である。
つまり、テレビというメディアがウェブに置き換わっただけで、これらの転職先は代理店業と同じように「商品を売る=社会のためになる」部分での自己実現を満たすような仕事を行うことができる可能性があるということだ。
問題は、
・クリエイティビティが介在するスキマが少ないこと
・多くが海外の企業であること
である。
PCやスマホの画面は大きくない故に、芸術的な美しさに重きを置く必要がないし、
たくさんの時間をかけて作り上げるような今までのクリエイティビティは必要ない。
今まで多くのクリエイターを排出してきた代理店業は、
「業種の性質上、代理店一社に独占的にお金が集まったこと」と「クリエイティビティが機能するメディア(テレビやOOHなど)を使用できたこと」があったから、クリエイティブな文化が花開くことができたのだ。
平安時代に、貴族の間で花開いた詩や芸術などの平安文化と同じようなことだ。
日記
悩み1
ナイーブになってしまったので日記を書く
私は薄情なんだと思う。
私は長いものに巻かれる存在で群れることが大好き
でも群れているだけで何も前進できてないと思われる毎日に疑問を感じてサークルから離れた
最初は未練はなく、スッと離れることができた。後輩の面倒を見るという考えなど1ミリもなかった。
勉学に専念する…のが理想だった。実際憚かるものは何もなかったから、なんとか勉学はうまくいったが、サークルも何もない自分には暇が多すぎた。あと人と話したかったのでちょっと後悔というか物足りなさを感じた。
サークルから離れる前の理想とは全然違った
でも考えなおしてみれば、もう私はサークルの活動自体に意味は感じなくなっていた。楽器を演奏することは楽しくはなかった。 (聞くのは好き)
かといってダンサーになることも、少し興味はあるが、勇気がない状態
(多分最初からダンサーになっとけばよかったんだなぁ)
今未練があるとすれば、あの空間にあるみんなのワイワイ感だけでしかない。そんな理由だけでサークルにいっても、ガチサーだから、練習、練習の毎日だし、時間の無駄感を感じてしまうのだ。つまり活動自体に意味を見出せないが、仲間は好きな状態。厄介だ。
まあこんな感じで好き勝手な決断をした時に、一番思っているのが恩を返せなかったことの申し訳なさだ。
自分自身あまり優勝するきがなかったとはいえ、役職で協力してくださった先輩方の協力がなかったら自分自身が潰れていたことは明白なので、先輩方への恩
それと一個下の子達を手伝えなかったことの申し訳なさもある
うーんでもこれが団体を抜けるということか。どんな人にとってもこの悩みはありそう。恩を返し切って途中で抜ける人なんていないよな
って正当化してみる
ある同期の子が「サークルは義務だから」と言っていた言葉が頭に残っている。
私は義務を感じつつも、所詮義務と思い軽く見てやめてしまった。(義務に縛られてサークルやるくらいならやめたほうがマシ)
ってかこんだけ悩んでいることを私は人に相談するのができないのでいつまでもこうやって悩んでいるんだよな。なんか言ったら相手の負担になる気がして。人と深い付き合いができない証拠だな。
今まで同じ考えだと思っていた人が、ガチサイドに転向したので思うところがあり描いてみた。
パチンコにハマる人はフリマアプリでものを売ってみたらどうかなぁ
フリマで儲けた時は快感を感じる。自分で作ったものが売れてるっていうよろこびの方が大きいけど、お金を稼いでいる感じ。(増えていく感じ)
労働力をお金に変えるんじゃなくて、自分が作った「物」でお金を稼ぐ感じ。
パチンコも同じで、テツの玉っていう物を売って(換金して)お金を稼ぐ喜びを得ることができる。
多分パチンコは、フリマでいう「物が売れて儲かる感覚」の部分だけを抽出して、それを餌としてくじ引きにしている
鉄の玉=自分が作った物で、鉄の玉が放出される=売れることっていう
そんなおいしいところだけいきなりもらえたらそりゃハマるよな〜と思う
ただ、そのおいしいところをもらえる確率が完全に店側に操作されていて、パチンコをやるに際してほぼ赤字になることが確定しているのなら、得られる快楽に見合ってないからやめたほうがいいかも
パチンコ中毒の人はフリマアプリでアクセサリーとかを作って売って儲けてみたら、健全においしい思いができて良いかもしれないです パチンコに比べたらおいしい思いができるペースは早いかも
というかフリマをやる人も、パチンコをやる人も、求めていることはそのおいしい思いっていうところで一緒なのでは?
人間の欲としてそのおいしい思いをしたい欲みたいなのがあるとする
フリマは、まあ始めるにあたって物を作るための技術が必要だけど
パチンコはまあお金さえあれば簡単にできるゲーム
パチンコにハマる人はフリマでいう初期の努力をしていないだけ。
んーわかんなくなった。
戯言3
私はなぜか初体験の相手とFBで繋がっている。
当時私15歳で相手が23歳くらい。犯罪だ。
当時は捨てられたチックだったんだけど、今になってたまにご飯どう?とか連絡が来たりするが無視している。
そんな初体験の相手が結婚していたのはFBで薄々知っていたのだけど、夜中の勢いで写真を漁り、現在の様子を見てみた。
結婚式の様子はなかったけど、結婚相手の女性の顔とか仲睦まじい様子がめっちゃ写真出てきた。幸せそうな夫婦という感じ。普通少しでも情があったら嫉妬心とか湧き上がるのだろうけど、今は全く興味がないから何の感情も湧かなかった。軽く、私も結婚して身を固めたいなと思ったくらい。
5年経つと当時のことを俯瞰して観れる。当時は結構彼のことを好きだったはずなのに、やはり5年も経つと心も落ち着くものだ。
そして、むしろ彼を選ばなくて良かったような気さえしてくるから不思議だ。
彼は30歳になり、少しやつれて、当時の面影がなくなって、なんか目がおじいちゃんみたいになってて、おっさんの予感を感じるような風貌になっていた。
知り合いの30代と比べてもなんだかショボショボとしている感じがした。
やっぱり知ってる人の老化を目の当たりにすると衝撃は大きくて、人間みんな20代を過ぎるとこうなるのかな?と心配になる。
そう、結婚といえば、最近恋愛観が変わってきて、付き合う前に、結婚するならこういう人っていうビジョンを考えるようになってきた。
まだなんとなくだけど合致する人を選んでいく感じ
定職についてて、無理して接せられて、馬があって面白い人がいい。理想が高いかな?
今までの経験から、キャリアに目がくらんでいいなと思う人は結構いたけど、多分それだと私の場合絶対飽きて浮気とかするから、馬があって面白い人ってのは譲れない
それで逆に、馬があって面白いだけで、フリーターとかだと、尊敬できるポイントがなくて、これまた冷めてしまった。
男性と付き合うたびにどんどんハードルが上がってるような気がするけど、別にそんなことはない。私は顔のかっこよさは見ないからね。
早く結婚してもいいと思えるような男性と付き合いたいな
戯言2
私は自分が捨てられる、または興味を失われることに恐怖を覚えているのかも
それは男女問わず
でも男性の方が、恋愛している間、分かりやすい好意をくれるから、興味を失われた時にショックが大きい。
失われることに恐怖を覚えるとかいいながらここ最近の私の恋愛は、まだ好意を持ってくれている相手を振ってばかりだ。相手を傷つけて終わっているから、そこは申し訳なさがある。
それでも新しい恋愛を求めて、間違った方法であるとわかりつつ、飲み場やSNSで相手を探す
ある記事を読んで分かったのは「この世に素敵なワンナイトラブなんてない」ということ
思い返せば確かにそうで、素敵なワンナイトラブで終わったためしはない
うまくいき、ワンナイトラブから発展して付き合ったという思い出もある。それは良い例だけど
大体のワンナイトラブは行きずりであり、男性側からの連絡がないことに凹んだり、連絡が来たりこなかったりして、無駄に一喜一憂するばかりだ。
この一喜一憂のせいで女として自信を持てなくなったりするから、本当に毒でしかないなあ。
私もよくが強い方で、よくのはけ口としてワンナイトラブしている、男を利用する立場なのだと、ずっと思っていたけど、こんなにも心をかき乱されるということは、逆なのかもしれない
ワンナイトラブは、多分男にいいように扱われているだけなのだな。
そして、不思議なのは、女の私はした後にも男性側に興味が持続したり増えたりするけど、男性側はむしろ女性側に興味がなくなる、薄くなるというところが面白いなと思う。
ああでもこれはあくまで相手を恋愛対象としてみていた場合に言えるのかな、、男性側は最初から、穴としか見ていない場合は、興味なんて最初からないしなあ。難しいところ。