日記

ひよこについて思うこと
 
ひよこの動画を見た
 
・レールにひかれて動くひよこ まだカワイイ 群れになってウゴウゴしている
・つままれて投げられるひよこ ちょっとかわいそう ものっぽく扱われている
ここまではまだカワイイを刺激されたのだけど、
 
手の上に死んだひよこがのっているのを見た瞬間、かわいそうが溢れてきて、思わず泣いてしまった
ひよこの瞑った目がギュッてなっていて、なんだか辛そうと思って
そのひよこが、やっぱり養鶏場辛かったわ〜って言っている感じがして、悲しくなってしまった
私の中のカワイイとかわいそうの基準は、生きているかどうか、かもしれない
私は結構どんなかわいそうな状況も、カワイイに変換することができるけど、やっぱり死んじゃったものは可愛くないよ。
 
ひよこが走って付いてくる動画、ての上にのっている動画、どれもカワイイけど
一ヶ月後とか見るととても大きくなっている、つまり小さくて可愛らしいひよこで居られる時間は一ヶ月もなくて、カワイイははかないものだということも感じるし、「ひよこがカワイイ」動画や画像は、これから先鶏に成るっていう、ひよこの未来への一瞬の時代を垣間見てる感じがして、切ない気持ち
いうならば、親が小さい頃の子供の動画を見て懐かしむような…
 
しかも、これだけ人が幼体⇨成体の色形を知っている動物いなくない?
ひよこってとっても身近で、かわいくて、でもかわいそうでもある面白い動物だと思った
 
ついでに、カワイイが古語かはゆしの派生?でかはゆしにはかわいそうの意味もあったことを知り納得した
かわいそうなものをカワイイって思うことあるよね
このことをひよこの作品を作って言えたらいいな〜とも思う
最初見た目カワイイ!から入って、作品に触れて感じる頃にはかわいそうっていう感情も芽生えるような作品…そして人間がそうせざる(触らざる)をえないみたいな